起源
サトシ・ナカモト、ホワイトペーパー、そして金融システムが壊れた冬。すべては仲介者への不信から始まりました。金融システムがリスクを次々と露呈した時代に、サイファーパンクたちは、どんな中心にも頼らないお金はありうるのかと問い続けていました。2008年の危機が最も深まった秋、「サトシ・ナカモト」と名乗る人物が答えを示します。9ページの論文、そして64日後のジェネシスブロックです。
ホワイトペーパー本体(全9ページの PDF)・『The Times』の見出しを含むジェネシスブロックの生データ・サトシ・ナカモトが引用した文献のうち5点の原典。
ビットコインは何もないところから現れたわけではありません。30年にわたる暗号技術とデジタル通貨の試みの集大成であり、信頼の危機のなかから生まれました。そして創始者が最終的に姿を消したあとも、システムは動き続けています。
問題と時機
なぜあの時だったのかかつての帳簿のしくみ
ビットコイン以前、あなたがいくら持っているかを決めていたのは帳簿係(銀行)でした。銀行が100と記せば、あなたの残高は100です。銀行が間違えず、不正をせず、破綻しないと信じるしかありませんでした。
帳簿係がいないなら、なぜ全員がひとつの台帳に合意できるのでしょうか。それこそが、ビットコインが答えようとした問いです。
2008年金融危機の壁
リーマン・ブラザーズが破綻し、各国政府は巨額の資金で銀行を救済し、預金者は支店の前に列をなしました。2008年の秋、人々は信頼されていたはずの仲介者そのものがリスクであることを知ったのです。同じ秋、ホワイトペーパーが暗号技術のメーリングリストに送られました。その64日後、ジェネシスブロックには銀行救済を報じたその日の新聞の見出しが刻み込まれます。この時間的な前後関係は、ビットコインと金融危機の結びつきを示す証拠として広く引用されていますが、サトシ・ナカモト自身はこの書き込みが何を意味していたのかについて、何の説明も残していません。


- リーマン・ブラザーズ破綻危機が一気に深刻化。
- 緊急経済安定化法が成立金融機関の大規模救済を承認。
- ホワイトペーパー公開暗号学メーリングリストへ送信。
- ジェネシスブロック当日の新聞見出しを記録。
ビザンチン将軍問題
いくつもの軍がひとつの都市を包囲しています。将軍たちは伝令を介してしか連絡を取り合えず、伝令は遅れることも姿を消すこともあり、将軍の中に裏切り者が紛れていることさえあります。彼らはどうすれば攻撃の時刻をひとつに決められるのでしょうか。1982年、Lamportらはこの問いを定式化しました。参加者が任意の不正を働きうるとき、分散システムは合意に到達できるのか、という問いです。ビットコインに置き換えれば、将軍とは互いに見知らぬ世界中の記帳コンピューターであり、合意すべきは「どの台帳を正とするか」です。ビットコインが解決しようとしたのはまさにこの問題だと、サトシ・ナカモトははっきり述べています。
メンバーが固定され身元も分かっている閉じたシステムについては、その後いくつもの耐障害性のある解決策が登場しました。そもそも原論文自体が、忠実な者が3分の2を超えていればこの問題は解けることを示しており、1999年のPBFT(CastroとLiskov)がそれを実用的なものにしました。未解決のまま残ったのは、誰でも参加できるパーミッションレスな場合、つまり参加者が自由に出入りでき、身元を登録することもできない状況でどう合意に至るかという問題です。第2展示室「信頼の機械」では、サトシ・ナカモトが示した答えを紹介します。それは投票ではなく、計算でした。
思想の系譜
ビットコインの部品はどこから来たのか- 暗号の部品
- Diffie–Hellman公開鍵と署名
- Merkleマークルツリー
- Chaumブラインド署名
- タイムスタンプと鎖
- Haber–Stornettaタイムスタンプ鎖
- Bit Gold連鎖する作業証明
- 仕事量とデジタル通貨
- Hashcashプルーフ・オブ・ワーク
- b-money台帳と発行の構想
- RPOW譲渡可能な証票
- 2008Bitcoin自律して動く機械に組み上げた
公開鍵暗号の礎
ビットコインのアドレスと署名を支える公開鍵暗号という考え方は、1976年と1980年の2本の論文によって確立されました。これにより、見知らぬ者どうしでも、事前に秘密を共有することなく安全に通信し、「これは確かに私が署名した」と証明できるようになったのです。具体的なアルゴリズムは別の系譜に由来します。署名には1985年以降に提案された楕円曲線暗号(secp256k1上のECDSA)が使われ、アドレスにはSHA-256とRIPEMD-160も用いられています。
New Directions in Cryptography
DiffieとHellmanは、公開鍵・秘密鍵とデジタル署名という考え方を初めて示しました。公開鍵暗号の扉を開いた論文であり、すべてのビットコインアドレスはここに連なっています。
Protocols for Public Key Cryptosystems [7]
Merkleは公開鍵配送プロトコルとマークルツリーを提示しました。マークルツリーは、膨大なデータのハッシュ(1文字でも変われば全く別の値になる、データの「指紋」)を層ごとにまとめ上げ、ひとつのルートハッシュに集約します。その値ひとつを照合するだけで、どんな改変も見つけ出せます。ホワイトペーパーの参考文献[7]。
タイムスタンプとハッシュチェーン
「ブロックチェーン」という構造そのものは、サトシ・ナカモトの発明ではありません。早くも1991年、2人の研究者が文書のハッシュを時系列に鎖のようにつなぎ、どこかが改変されればそれが露見する仕組みを提案していました。ホワイトペーパーは彼らの研究を3回引用しています。最も直系の祖先といえる存在です。
ブロック 0 有効
— — — —67bfd0c0ブロック 1 有効
67bfd0c04fd9a51bブロック 2 有効
4fd9a51bd45afa68ブロック 3 有効
d45afa68a2911c1dHow to Time-Stamp a Digital Document [3]
HaberとStornettaは文書のハッシュを互いに連結してチェーンにし、一度書き込まれたものをひそかに書き換えられないようにしました。二人の研究はホワイトペーパーで3回([3][4][5])引用されており、ブロックチェーンの連鎖構造の直系の祖先です。
Design of a Secure Timestamping Service with Minimal Trust Requirements [2]
Massiasらは、タイムスタンプサービスに必要な信頼を極限まで小さくする方法を検討しました。ホワイトペーパーの参考文献[2]。
サイファーパンク運動
1992年、cypherpunksというメーリングリストが誕生しました。参加者たちは、プライバシーは法律ではなく暗号技術によって守るべきだと考えていました。そして16年後、ビットコインのホワイトペーパーが送られたのは、この集まりのメンバーも多く参加していた別のリストでした。
The Crypto Anarchist Manifesto
Tim Mayは、暗号技術によって匿名の取引や契約が可能になり、国家と市場のあり方が根本から変わると予見しました。ビットコイン誕生の20年前に書かれた文章です。
A Cypherpunk's Manifesto
Eric Hughesはサイファーパンクの信条をこう記しました。「Privacy is necessary for an open society in the electronic age.」(電子時代の開かれた社会には、プライバシーが不可欠である)。プライバシーとは秘密にすることではなく、何を明かすかを自ら選ぶ力なのだ、と。
cypherpunks mailing list
運動が実際に繰り広げられた場所です。Hashcashやb-moneyなど、デジタルキャッシュの初期の試みの多くがこのリストで初めて発表されました。アーカイブの索引は文献室にあります。
2つの宣言は、暗号思想史における位置づけを示す歴史資料として展示しています。そこで主張されている政治的立場は著者自身のものであり、当館はその是非を評価しません。
デジタルキャッシュの先駆者たち
ビットコインの部品は、どれも誰かが先に作っていました。以下の5件のうち、ホワイトペーパーの8つの参考文献に挙げられているのは2件(b-moneyとHashcash)で、カードにその旨を記しています。サトシ・ナカモトの功績は部品を発明したことではなく、それらを組み合わせ、自ら動き続ける機械に仕立てたことにあります。
Blind Signatures for Untraceable Payments
Chaumのブラインド署名は、銀行が中身を見ないままコインを保証することを可能にしました。検証可能でありながら匿名でもある仕組みです。その後彼が創業したDigiCashは、現代の電子現金の精神的な祖先といえる存在です。
Hashcash [6]
Backは迷惑メール対策として、送信者にメールを送る前に、ごまかしのきかない少量の計算をさせる仕組みを考えました。ビットコインはこのハッシュベースのプルーフ・オブ・ワークをほぼそのまま借用しています。ホワイトペーパーの参考文献[6]。
b-money [1]
Wei Daiは、参加者全員が台帳の写しを持ち、計算パズルを解いて通貨を発行し、共同で契約を執行する仕組みを構想しました。サトシ・ナカモトが最初に引用した文献です。
Bit Gold
Szabo(1998年に構想、2005年にブログで公表)は、計算パズルによって「偽造できないコスト(unforgeable costliness)」を生み出し、その結果を連結し、タイムスタンプを付けて公開登録する仕組みを提案しました。概念的にはビットコインに最も近い先駆けです。
Reusable Proofs of Work (RPOW)
FinneyはHashcashを基盤に、再利用・譲渡が可能な作業トークンを作りました。デジタルな希少性は流通しうるのか、という初期の実験です。それから4年余り後、彼はビットコイン史上最初のトランザクションの受取人となりました。
中央集権型の電子現金はなぜ失敗したのか
ビットコイン以前にも、デジタルキャッシュを実現した例はありました。DigiCashもe-goldも実際に稼働し、実際に流通していたのです。ただし、終わり方は異なります。DigiCashは事業提携と資金調達が頓挫して破産し、e-goldは2008年に刑事責任を認め、2009年に送金を停止しました。両者に共通していたのは、すべてが一点に集中していたことです。市場競争に敗れたにせよ、法執行機関に閉鎖されたにせよ、利用者の手元にあったお金はそれと一緒に凍結されました。
DigiCash
Chaumの会社は当時最先端の匿名決済技術を持ちながら、企業や銀行との提携が行き詰まり、破産しました。技術がどれほど優れていても、会社がなくなればお金も消えてしまいます。
e-gold
数百万の口座を抱えた金を裏付けとするデジタル通貨でしたが、2008年に刑事責任を認めた後、2009年に送金を停止しました。中心があれば、そこには狙い撃ちできる一点があるのです。
Szaboはこの教訓を一文にまとめています。「Trusted third parties are security holes.」(信頼できる第三者はセキュリティホールである)
誕生と公開
ビットコインはどう世に出たかbitcoin.orgのドメイン登録
ホワイトペーパーのメールよりも早い、最初の足跡です。2008年8月18日、bitcoin.orgというドメインが登録されました。論文が公開される74日前のことです。誰かがすでに準備を進めていました。
ホワイトペーパーの壁
Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System
各節の解説
以下は要旨と全12節の簡単な解説であり、全文ではありません。原文の全体は、bitcoin.orgで公開されているPDFでご覧ください。
要旨
純粋なP2P型の電子現金が実現すれば、オンラインの支払いを金融機関を介さず、当事者から当事者へ直接送れるようになります。
1. はじめに
商取引は、信頼できる第三者としての金融機関に頼っており、信頼モデルにつきもののコストや不正をそのまま抱え込んでいます。必要なのは、信頼ではなく暗号学的な証明に基づく電子決済システムです。
2. トランザクション
電子コインを、デジタル署名の連なりとして定義します。各所有者は、直前のトランザクションと次の所有者の公開鍵のハッシュに署名することで、コインを移転します。
3. タイムスタンプサーバー
タイムスタンプサーバーは、ひとまとまりの項目からなるブロックのハッシュを取り、それを広く公開します。各タイムスタンプは直前のタイムスタンプを含み、鎖を形づくります。
4. プルーフ・オブ・ワーク
ブロックのハッシュが所定の数の先頭ゼロビットを持つまで、ナンスを探索します。投票は1CPUにつき1票。最長のチェーンが多数派の決定を表し、それを改ざんすることは計算量的に現実的ではありません。
5. ネットワーク
新しいトランザクションはすべてのノードにブロードキャストされます。各ノードは自分のブロックのプルーフ・オブ・ワークを探し、見つけたらブロードキャストします。ノードは有効なブロックを受け入れ、チェーンを延ばしていきます。
6. インセンティブ
ブロックの最初のトランザクションは、そのブロックの作成者が所有する新しいコインを生み出し、これによってコインが流通に供給されます。発行が終われば、マイナーは取引手数料によって報酬を得ます。
7. ディスク容量の回収
トランザクションが十分な数のブロックの下に埋もれたら、マークルツリーを使って使用済みのデータを破棄し、ルートだけを残して容量を節約できます。
8. 簡易支払い検証
フルノードを動かさなくても支払いは検証できます。最長チェーンのブロックヘッダーを保持し、トランザクションとそのブロックを結ぶマークルブランチを取得すればよいのです。
9. 価値の結合と分割
トランザクションには複数の入力と出力を含めることができ、価値を分割したり結合したりできます。
10. プライバシー
公開鍵を匿名に保つことで、プライバシーが守られます。誰でもトランザクションを見ることはできますが、その背後に誰がいるかはわかりません。
11. 計算
攻撃者が相当なハッシュパワーを持っていても、誠実なブロックが積み重なるにつれて、追いついてチェーンを書き換えられる確率は指数関数的に低下します。
12. 結論
私たちは、信頼に頼らない電子取引のシステムを提案しました。誠実なノードがCPUパワーの過半数を握っている限り、このシステムはプルーフ・オブ・ワークによって守られます。
ホワイトペーパー公開のメール
2008年10月31日(UTC)、「Bitcoin P2P e-cash paper」という件名のメールが、metzdowdの暗号技術メーリングリストに送られました。書き出しはこうです。「I've been working on a new electronic cash system that's fully peer-to-peer, with no trusted third party.」(完全なピアツーピアで、信頼できる第三者を必要としない新しい電子現金システムに取り組んできました)。返信はわずかで、その多くは懐疑的なものでした。
ジェネシスブロック
2009年1月3日、ビットコインの台帳の最初のブロックが生成されました。サトシ・ナカモトはそこに、その日の『The Times』の見出し「Chancellor on brink of second bailout for banks」(財務大臣、銀行への2度目の救済措置へ)を書き込みました。

Bitcoin v0.1ソフトウェアの公開
2009年1月8日から9日にかけて、サトシ・ナカモトは最初のBitcoinクライアントを暗号技術のメーリングリストとSourceForgeで公開しました。ホワイトペーパーの設計は一行残らず、ダウンロードして実行できるコードになったのです。プロトコルはもはや論文ではなく、現に動いているネットワークとなりました。
最初のトランザクション
2009年1月12日、ブロック170。サトシ・ナカモトはHal Finneyに10 BTCを送りました。ビットコイン史上初めての、本当の意味でのピアツーピア送金であり、概念実証が果たされた瞬間です。それまでのブロックにはマイニング報酬しか含まれていませんでした。ここから、このシステムは本来の目的どおりに働き始めたのです。
「Running bitcoin」という投稿
2つの単語、ひとつの投稿、象徴的な一場面。ビットコインの存在をほとんど誰も知らなかったその日、Hal Finneyは、本人の回想によれば、サトシ・ナカモト以外で初めてこのソフトウェアを動かした人物となりました。彼はその後最初のトランザクションを受け取り、2014年に亡くなりました。この投稿は今も残っています。


創始者とその退場
彼は何者か、去ったあと何が起きたかサトシ・ナカモトとは誰か
サトシ・ナカモトの正体は、今も確認されていません。以下に、公の議論で最もよく挙がる特定説を示します。それぞれについて、名前が挙がる理由、既知の反証または本人の反応、そして現在の状況を並べて展示しています。当館は証拠を展示しますが、判断は下しません。
Hal Finney
Nick Szabo
Craig Wright
現在に至るまで、検証可能な証拠に裏付けられた特定説はひとつもありません。「サトシ・ナカモト」の名を使っていたアカウントの最後の公開投稿は2010年12月、最後に確認されている私的な連絡は2011年4月です(2014年にP2P Foundationに投稿された一行の否定は、真偽がはっきりしません)。公の発言のアーカイブ全体は文献室に収めています。当館は正体について判断を示さず、いかなる特定説も支持しません。
一度の誤認の代償
2014年、この件と無関係な存命の技術者が、報道によってサトシ・ナカモトだと名指しされました。彼は特定説のひとつではなく、特定がもたらした結果です。
報道による特定
『Newsweek』は、カリフォルニア州の技術者Dorian Prentice Satoshi Nakamotoをビットコインの創始者と名指しするカバーストーリーを掲載しました。主な根拠は名前、住んでいた場所、そして経歴でした。記事の公開後、記者たちが彼の自宅前に押し寄せました。
本人の否定
Dorian Nakamotoはビットコインとの関わりを公に否定し、ビットコインのことを初めて聞いたのは、その約3週間前に『Newsweek』の記者が息子に連絡してきたときだと語りました。記事の翌日、P2P Foundationのフォーラムにあるサトシ・ナカモトの古いアカウントが、両者は同一人物ではないとする否定を投稿しました。しかしこのアカウントは2014年9月に乗っ取られたと報告されており、その投稿が本来の持ち主によるものかどうかは確認できません。
サトシ・ナカモトの退場
2010年12月、サトシ・ナカモトは最後の公開投稿を行いました。2010年後半にかけて、彼はコードリポジトリの管理権とネットワークのアラートキーをGavin Andresenに引き継いでおり、2011年4月に最後の数通の私信を送った後、完全に姿を消しました。Sergio Lernerが初期ブロックのextraNonceのパターン(Patoshiパターン)から行った統計的推定によれば、初期に採掘されたおよそ100万BTCが一度も動かされていません。この推定はオンチェーンデータの分析に基づくもので、本人による確認はありません。彼が残したのは、持ち主のいないネットワークでした。
創始者が去った後も、ネットワークはブロックを生成し続けました。彼が去る前の2010年8月に起きた値のオーバーフローバグ(CVE-2010-5139、ブロック74638)は、サトシ・ナカモト自身が数時間のうちに0.3.10をリリースして修正しました。彼が去った後の2013年3月のチェーン分岐(BIP 50参照)は、開発者と主要なマイニングプールが連携して0.7へのロールバックを行うことで解消されました。どちらの場合も直近に記録されたブロックが破棄されましたが、台帳は最終的に一貫性を保ちました。この歴史こそが、「分散化」が実際に何を意味するのかを示す現場の記録です。
基本データ
- ホワイトペーパーは2008年10月31日に公開。全9ページ、著者はサトシ・ナカモト。
- ジェネシスブロックは2009年1月3日。その日の『The Times』の見出しが埋め込まれている。
- ジェネシスブロックの報酬は50 BTC。しかも永遠に使うことができない。
- サイファーパンクの先駆者たち:Chaum、Back、Dai、Szabo、Finney。